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最高裁判所第一小法廷 昭和33年(オ)472号 判決

上告人 上原フサノ

被上告人 恵美カツ

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人高橋武夫、同椎木緑司の上告理由第一点、第二点について。

本件遺言書作成の経過、遺言書の形式および記載文字の筆跡等所論の点に関する原審の事実の認定は、挙示の証拠に照らし是認しうる。所論は右原審の認定した事実と異なる事実関係を前提として原判決の違法をいうものであつて、採るを得ない。

同第三点について。

記録に徴すれば、所論調停の申立または訴の提起が、所論のように遺留分減殺請求権の行使の意思表示を包含するものとは認められない。また、本件において上告人が予備的に主張した遺留分減殺請求の訴については、更に相読財産の相続開始当時の価額、遺贈財産の相続開始当時の価額、本件不動産の所在地、内容等を具体的に検討しなければならないから、原審における本件訴訟進行の状況に照らし、右予備的訴を審理し、訴訟を完結することは、訴訟手続を著しく遅滞せしめるべきことは推測するに難くない。それ故、これと同趣旨において右予備的請求を却下した原審の判断は正当であり、所論の違法は認められない。

同第四点について。

遺言書が数葉にわたるときであつても、その数葉が一通の遺言として作成されたものであることが確認されれば、その一部に日附、署名、捺印が適法になされている限り、右遺言書を有効と認めて差支えないと解するを相当とする。それ故右と同趣旨の原判決は結局正当であつて、所論の違法は認められない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)

上告代理人高橋武夫、同椎木緑司の上告理由

第一点採証法則の違背

一、原判決は先ず本件遺言書(乙一号証)の第一葉目の記載部分は、その第二葉目とともに遺言者延太郎の筆跡であつて、且つ同時に作成したもので、その成立事情について、「当時病臥中であつた延太郎が病苦にあえぎ乍ら、病床で書いたものであるから筆勢の均等はむしろ之を保し難いものと云うべく、漸次その衰えを見せたことも首肯せられないことはなく、従つて右遺言書の後葉の文字が前葉のそれに比して筆勢が弱いということのみを以て直ちに二者その時を異にしたものとは速断し難い」旨判示している。

二、成立に争のない甲第七号証遺言書検認調書によると、昭和二十四年七月二十一日午前十時広島家庭裁判所において、申立人恵美カツ、相続人遺言者の兄妹、恵美嘉十郎、赤松タツ、恵美熊吉、住村タロ、出頭のうえ、家事審判規則第百二十二条の手続が行われたことが判る。

(1) 本件遺言書は、

「遺言書は、無封の一重の白紙封筒に入れた縦三十糎、横五十二糎の諸は紙を末尾から十六糎のところを糊継にしたるも契印なく、左記事項を記載し全文墨書によるも証書中下段最初より三項目の五百五十三番地五畝二十九歩畑地の表示を一箇所訂正せるも訂正印なく、更に末尾より四行目上から八字目を削除し楕円型の印鑑で(恵美)の印鑑で消印し、最後の行に恵美延太郎と署名押印せるも、その印鑑は前記訂正印とは別個のものであるが、全文の筆蹟は同一のものと認められる。」

と記載され、密封遺言書ではなく、糊継がしてあり、一個所訂正部に訂正印なく、後の訂正部には延太郎名下の印と別個の印影による訂正がしてあることが顕著に着目せられている。

(2) 立会した恵美嘉十郎、赤松タツ、恵美熊吉、住村タロ、は何れも延太郎が書いたものではないと思うと述べ、何れも強く成立に反対の表明をしている。

(3) 最後に赤松タツは、

縦二十一糎、横八糎の白色二重封筒に密封したもので、表面に「遺言書」と、裏面に恵美延太郎と墨書し封し、同二ヶ所(上下)に捺印し、それを茶色の縦二十二糎、横十四糎の一重紙に「本封筒ニハ恵美延太郎ノ兄ノ遺言書アリ、此ノ遺言ハ家督相続ニ関スルモノナルニヨリ裁判所ニテ開封スルニアラザレバ無効ナルノミナラズ過料ニ処セラルルニヨリ注意ヲ要ス。」

と墨書の注意書を貼付した遺書を提出したことが、何れも認められる。

赤松タツ提出の遺書は本件において、甲一号証の一、二、に相当するもので、本件遺言書より以前に成立したものであることは、原判決認定の通りであるが、これによると遺言者延太郎は相当文字の知識を有し、遺言書の厳密性を理解し、特に密封遺言書によりその開封手続は裁判所により行う等の注意書を貼付する等高度の法的知識と厳格的性格を有していたことが窺はれる。

因みに甲一号証の二の遺言書は縦二十八糎、横四十糎であるが、糊継及び訂正部分は一切なく、正当に漢字を使用している。

三、然るに本件遺言書乙一号証については、封筒に入れてあるが、その題書も封もなく、第葉目には先ず遺言書と記載すべき部分を「遺言証」と記載し、その次に十五筆の宅地田畑について字、番地、地名、地積等を壱、弐の文字を用いて具体的に詳細に記述し、

第二葉目には第一葉目の詳細さとは対象的に極めて簡単且つ幼稚に

家一切金デンブ妻の物

ツツシンデ法事トモライセヨ

昭和十一年一月十六日

恵美延太郎

と記載されるに止まつている。

本件は、第一葉と第二葉の異同性につき一審以来最も力説して主張並に審理され来つた所であり、この点については極めて多くの偽作の疑があるのであつて右第一葉において前記十五筆の記載を書き収めた点が技巧に過ぎ、仮りに第一葉と第二葉が同時に引続き記載されたとすると、第二葉目の家一切、金デンブの記載も亦第一葉目の記載の筆法と同様に具体的に記述記載される筈であるのに急激に記載態度を変更しており、且つ「デンブ」「妻の物」(述語がない)「ツツシンデ」「トモライオセヨ」等極めて幼稚且つ誤謬な記載であつて、前葉のように詳細に記憶し、且つ壱、弐等の文字まで用いた慎重さと、誠に打つて変つた変容である。

本件遺言書成立事情について、原判決は、

「本件遺言書は、当事者病気中の被控訴人の夫恵美延太郎が被控訴人に紙と硯を持参することを命じ、被控訴人の差出した横に糊継ぎをしてある障子紙用紙に病床で、しかも病苦にあえぎ乍ら中途で幾度か休息をとりつつ書き認めたものである。」

と被控訴人に有利な認定をしているが、斯る同情的認定でも、また被控訴本人の供述、其の他一切の証拠によるも他に前記土地の表示を正確に記載した名寄帳その他の文書紙片等を参照した形跡は認められない。

そうすると、第一葉記載の十五筆の細目は病苦にあえぎ乍らも正確に記憶していた推論になるが、然し斯様な十五筆の地目、地番、地積を正確記憶することは健康時においても非常に困難であつて、病床にあえぎ、あえぎ中途で幾度か休息をとりつつ、書き認めたものとは認められない。

寧ろ第二葉目の幼稚な記載こそ病床であえぎ乍ら記載した感があるが、被控訴人の供述によると当日遺言者は胃が悪く寝ていたが、本件遺言書は病床で起きて書いたもので、被控訴人は傍でぼろのせんたくをしていたというのであるから、病状もさして急迫していたとも云えず、さりとて相当快調の状態であつたとも言えず、第一葉と、第二葉の粗雑性と、当日の状況とが共に合理的に納得できない。これは結局第一葉と第二葉が筆跡を異にするかないしは、同一にしてもその作成の時期の異るものを後に糊継したものに相違ない点を証佐する重大な資料である。

四、第一審における鑑定人小川早苗の筆跡鑑定書による鑑定の結果第一項に徴するに

「一葉目の字は……書いたものではないかと思う」旨記載されており字体そのものからその合理性が窺えるが、更に此の鑑定は前記研討の結果と相俟つて考察するときは、誠に説明充分であり、真理をついているものである。原判決はこの部分を措信しなかつたが、これは如上の如き精密な研討を怠つた為に起因するもので、明かに経験則に違背し、採証の法則を誤つたものに外ならないのである。

原判決がその説明に相当苦心した跡が窺える訂正の及未訂正の問題についても斯る研討を以つてして初めて明快な結論を得る、即ち本件遺言書の延太郎名下の印影と、妻というところの印影とが相違することは争なく、また長田水の「水」の箇所に訂正印のないことが検認の結果により明らかであるが、被控訴人の説明によるも何等合理的に異つた印を押捺する合理的な理由はなく前記甲一号証等によると延太郎は極めて厳格な几帳面な性格で同時に異種の印影を用いたことは到底認められず、また妻の字はみて誤解を招くほどに誤つていないのに、訂正印となし、長田水の「水」の字の所は明らかに不明確なのにこれが訂正印を看過したことは明らかに延太郎の所為でないことが合理的に納得できるのである。

ましてや延太郎は右遺言書の日付である昭和十一年一月十六日から其の後健康も回復、十三年後の昭和二十四年三月二十日に至つて死亡したものであるから、前記不完全な遺言書は本人の性質上当然に改訂したことは疑を押む余地がない。

そうすると本件遺言書はその第一葉、第二葉が何れも延太郎の真筆であるか否かの論議は暫くおくとしても少くとも病状が変化する程度の相当期間相隔つた期間に作成されたものであることは明白であつてこれが遺言書における型式的厳格性日付の同一性を維持できなくなつて、その余の判明を俟つまでもなく、本件遺言書は無効に帰着する法理である。

第二点法令解釈の誤謬

五、遺言は一つの意思表示であるけれども、その性質が死亡後に執行力を生ずるもので、死後においては何人もこれを改めることができないものであり、且つその内容は多く巨大な財産の遺贈及び相続関係等重大な身分の変更を目的とし、またこれらについて、詐欺、強迫、錯誤を予防する必要もあるので、民法は極めて厳格な方式を要求し、遺言者の真意の確保を保障しようとしているのである。

原判決においても斯る遺言における形式の厳格性はこれを認めて居て、

「民法がその作成につき厳格な方式を要求し、遺言者の真意の確保を保障しようとしていることは明らかであつて、従つて本件の如く自筆証書による遺言が二葉に亘るときは原則として各葉毎に遺言者の署名押印その他前記法条に定める要件を具備しなければならぬと解する。」

旨判示しているのである。

而して本件遺言書は二葉の紙に亘り、しかもそれは糊継ぎがされているに拘らずその間に契印がなく、且つ延太郎名下の印影と、その訂正箇所の印影が相違することは争なき事実であつて、このことからして明らかに右遺言証書の形式的要件を充足し得ず無効と解すべきことは当然である。

六、原判決は時として文盲素朴の人が遺言書を作成することもある場合を考慮して本件二葉の遺言書を同時に一体として作成せられたものとして、その瑕疵を救済している。然し既に甲一号証の一、二、甲七号証により明かなごとく、延太郎は遺言について相当深い法的知識を有し、嘗て完全無疵の遺言書を作成し、更に密封遺言は裁判所において開封せねば過料に処せられるべき注意書をも貼付している位であるから、本件遺言書が特に急迫にして斯る注意を喪失する程度の還境下において作成された証拠のない以上、本件遺言書は判示の如き救済の事例に該当するものではない。

而して更に前記々述のように第一葉と第二葉がその記述形態を著しく異にしている点、また筆勢等も異る点、同時に作成したというのに異種の印影を使用している点の説明ができていない点、書き改められた妻の字が抹消された妻の字の真下にあること、更に糊継については一枚宛下から張つて縦に継ぎ合わすべきであるのに、横継ぎしてあること等に照し明らかに偽造の疑があり、そうでないとしても少くとも同一時に作成されたものではなく、異時に作成されたものを加工して一体のように糊塗したことは右本件立証をもつて充分に認定し得るところなのである。

七、原判決は延太郎が、昭和六年二月二十日控訴人の子訴外上原新を家督相続人に指定する旨の遺言書を作成し、また、真実の相続人を死の直前に決定する旨近親者に洩し、その死亡の直前である昭和二十四年三月十八日、右新の子勇作を養子とする手続をとり、同年四月五日被控訴人と、勇作との間においても養子縁組の成立したこと、従つて右延太郎の真意が、勇作をして自己の跡目が継がせるにあつたことを認定している。してみれば延太郎は本件の如き遺言書を作成するいわれはなく、これは後日被上告人に有利に改ざんしたことが明らかであるに拘らず、被上告人が、後日延太郎の真意に反する遺言書を偽造又は改ざんしたという証拠がない故をもつて上告人の主張を認めなかつた。

しかし、改ざんの点についての立証は前記多くの遺言書自体に存する矛盾と、右成立当時及びその前後の事情等により充分に立証されているのであつて、敢て直接改ざん、偽造の現場を目撃したという証拠がなければ認定し得ないものではない。

そして斯様証拠を要求することは、事案の性質上不能を要求するものであつて、却つて本件のように形式を重要視する遺言無効確認等の事案については遺言書自体において成立を強く疑わせる程度の立証によつて挙証責任を果されたものと解すべきが当然である。

これは認知事件における不貞の抗弁等について、従来母がその捜索する父以外の男性と交渉があつたとしても、その父が母と交つたことの立証により満足し、それが他の男との交渉によるものではない迄の立証まで求めない最近の判例傾向によつても充分に窺い知れるのであつて、斯様に解さないと、不能を強いることとなるのである。

そうすると、本件においては成立前後の事情まで詳細に立証されている以上前記立証は十分に尽されていて、斯様な事実は当然に認定せられるべきであるのに、これを誤つた原判決は明らかに法令解釈の違背があると思料する。

第三点審理不尽、理由不備

八、次に原判決は上告人の遺留分侵害による本件遺言の一部無効の主張を排除し、また予備的にする遺留分減殺請求は時機におくれた攻撃方法としてこれを却下した。

然し、成立の争のない乙第五号証、期日変更呼出状によれば、上告人は被上告人に対し、昭和二十五年六月十六日当時、広島家庭裁判所昭和二五年家(イ)第一八七号、相続財産分割調停事件を提起し、右は甲第七号証により遺言検認のあつた昭和二十四年九月二十七日から起算しても一年以内に右遺産相続分割の請求をなしているのであるから、上告人の右当時本件遺言の存在の知、不知に拘らず明かに遺留分減殺の意思表示をも包含した遺産分割請求をなしていることが明らかである。

また遺留分侵害による遺言内容の一部無効の主張は則ち遺留分減殺請求と一体で、これを包括したものに外ならず、右主張により当然減殺請求を包括して主張したものと看過すべく、字句に捉われ斯様な解釈をしないとすれば明かに釈明権を行使してその真意の奈辺にあるやを確定して審理すべきである。

何れにしても、遺言無効確認の提起そのものは、その有効な場合は遺留分侵害ある限り、その減殺請求の意思をも表示したものと看做すべく、本件も当初から遺言内容が遺留分をも侵害していることは主張されているから、被上告人としても当然に右主張に対し防禦方法を講じているのであつて、時機に後れた攻撃方法として却下したのは審理不尽の違法がある。

九、尤も本件のように上告人が当初から遺言の無効を強く確認しているような場合は、その有効を前提とする遺留分減殺とは全面的には相容れない面もあるから、終局的な意思表示は右遺言無効確認訴訟判決の確定の後においてなされるべく、民法第千四十二条における減殺すべき遺贈があつたことを知つたときは、本来右判決確定の時を指示するものであることは当然である。

(大審昭一三・二・一六、民四判、民集一七巻二七六頁参照)

そうすると寧ろ本件においては却つて時機に先行したというが正しい。

しかし確定後更に訴を繰返すことをなるべく避けて、同時に予備的な条件のもとに審理を受けようとする上告人の主張は不当としてこれを排斥すべきものではなく、審理を尽すべき筋合であつたものであり、原判決はこの点において審理不尽のそしりを免れない。

尤も前記のように遺言無効確認事件判決確定後提起すべきものとする見解を前提としたなら了解し得るが、それにしては原判決の理由は喰い違いがあり、理由不備の違背があると思料する。

第四点法令解釈の誤謬

民法第九六八条第一項によれば「自筆証書によつて遺言をするには、遺言者が、その全文、日附及び氏名を自署し、これに印をおさなければならない」とその法定要件を規定している。この規定は遺言書が一葉である場合と二葉以上に亘る場合たるとを問わず遺言書の厳格性より見て各葉毎にそれを必要とすると解すべきである。しかるに本件の遺言書(乙第一号証)は第一葉については日附及び氏名の自署なく、且つ、遺言者の印もおされておらないのであるから、右法条に照し法定要件を欠ぐ無効な遺言書であるにも拘らず、原判決が結局これを有効な遺言書と認定したのは、右第九六八条の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。

よつて原判決はこの理由をもつてしても破棄すべきである。

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